津軽三十三観音霊場(31居土普門堂、32苦木観音長谷堂)
居土普門堂
元和6年(1620年)村中に建立されたと伝えられており、当初の本尊は十一面観世音菩薩でしたが、いつの頃から千手観世音菩薩に変わったとされる神社です。
明治の神仏分離により廃寺となり、その跡地には熊野神社が勧請されます。そして、神仏分離令の風潮が弱まると熊野宮に代わり、境内に再び居土普門堂を建立して隠していた観音像を安置し現在に至ります。
苦木観音堂
寛永9年(1632年)村中により創建と伝えられている神社です。天保年間には女修験者や神官により2度観音像が盗まれていますが、いずれも無事に戻り現在に至ります。
長慶天皇は南北朝時代に足利尊氏と戦って敗れ津軽に亡命し、元相馬村で崩御します。その家臣である武将 水木監正の一族が、天皇崩御の後、この苦木の地に住み着いた後、集落を作り、16世紀半ばに熊野平舘を築き観音像を安置しました。
登録日: 2023年11月30日 /
更新日: 2023年11月30日