大円寺(大鰐町蔵館、高野山真言宗大圓寺)は、津軽では「大鰐の大日様」として篤い信仰を集める名所です。

 大円寺の起源は、奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に際し、本尊大日如来を阿闍羅山の大安国寺に安置したことに始まります。後に大安国寺は荒廃し、鎌倉時代建久2年(1191)、阿闍羅山千坊(せんぼう)と称された「高伯寺」(円智上人建立)に移奉されました。
 慶安3年(1650)、津軽三代藩主・信義が鷹の病気平癒を祈願したところ、病は治り、これを喜んだ信義は、本尊を京都で補修させ、同年に御堂を現在の場所(大円寺のある場所)に建立、「神岡山(じんごうざん)高伯寺」と号し、高伯寺と本尊を移安。以来、津軽家代々の崇敬を受け、江戸時代末期まで「大日様」として信仰を集めてきました。

 明治4年(1871)、神仏分離の際、弘前市から大円寺が移り、高伯寺の名は姿を消すことになります。

  

 ここに安置されている大日様と呼ばれる“国指定重要文化財”の本尊は、穏やかさのなかにも意思的な力強さを感じさせる、重厚な仏像です。青森県を代表する、このすばらしい仏教文化の大作、実は大日如来ではなく、阿弥陀如来坐像です。それではなぜ阿弥陀様を大日様として信仰したのか・・・。「本当の大日如来像は胎内仏として中に納められている」という伝説もあり、大正時代に実際に調査されましたが、何も出てきませんでした。この信仰の謎は、未だ解明されていません。
仏像は、通常ヒノキが用いられますが、これはヒバ材を使用し、平泉に来ていた都の仏師がこの大鰐の地で彫ったものと考えられています。
この本尊は、大鰐の地名の由来にも関わりをもっています。

 見事な芸術性、果てしない謎。明確な事実は闇の中ですが、昔も今も「大日様」はこの地にあり、温かな日常に欠かせない存在です。

 

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電話番号 0172-48-2017